日本人はたぶん肉食もヴィーガンもどちらも向いてないんだろうなと思った話
今とても「食」について興味が湧いてるので、今年はそのことについての記事が増えそうです。
つい先月もこのような記事を書きました。
はじめに、なんで日本人が肉食にもヴィーガンにも向かないと思ったのかというと、日本人は元々肉を食べる習慣はなく、菜食主義的な食生活を送っていたからです。
明治以前は位の高い人ほど肉を口にしなかったのだとか。
「日本の獣肉食の歴史」の文章を読んだ時に、私はヴィーガン、ベジタリアンなどの記事を読むよりも、とても感覚的にすんなりと「これだ」と感じることができました。
引用
・日本では古来、食用の家畜を育てる習慣が少なく、主に狩猟で得たシカやイノシシの肉を食していた
・仏教伝来以降は、獣肉食全般が敬遠されるようになっていったが、日本人の間で全く食べられなくなったという時期は見られない
・狩猟で得た獣肉はいいが、家畜を殺した獣肉は駄目(哺乳類>鳥>魚)と考えられることが多かった
その時代時代によって違いますが、日本では基本的に家畜を飼わず肉食を禁止していたが、食べることもあった。
↑これがなんかすごく日本的だなと。
そして今現在なんとなく感覚的に理解できないことがあるのも、たぶん現代に生きつつも昔の人の考え方をまだ持っているからなのではないかと思ったのです。
『狩猟で得た獣肉はいいが家畜を殺した獣肉はだめ』というところも、ヴィーガンからも肉食からも理解できないことだろうなとは思うのですが、その考え方が合っているのか間違っているのかは別として私はとてもしっくりきたのです。
牛や豚より鶏が好きですしね。あと苦手な人が多いけど私は鹿肉が好き。
ここ数日肉を食べることについて考えていた時に、自分なりの決まりみたいなものを作ったのですが、それが
・牛肉や豚肉、鶏肉、鶏の卵は極力控える
・魚介系は食べる
・乳製品は摂る
・肉は日常的に食べるのではなく特別な時に食べる
です。
これも今後変わっていくかもしれませんが。
私は哺乳類の屠殺の現実を見てやっぱり気分がよくないと思うのですが、それ以上にお金儲けのために大量生産大量消費を是とし本当は売らなくてもいいものを売って、殺さなくていいものまで殺しているということに納得ができないので、こうして色々と考えるようになりました。
経済成長とお金を儲ける(私腹を肥やす)ためなら何をしてもいいみたいなことになってる現代の在り方が異常だと思っています。
そしてそれは戦前戦後(世界大戦)から続いているものだと思っていて、どこかでそれが止まってもいいのではないのかと考えます。
日本で獣肉の消費量が魚肉の消費量を上回るのは1960~1970年代の高度成長期の頃だといいます。
明治時代に文明開化の象徴として肉食が解禁され、その後世界大戦前後は食糧危機で徐々に需要が増していき、元々たんぱく質源は魚肉中心だったのが、見事に獣肉に変わっていき、現在があるということになります。
世界大戦という異常事態が終わって、物質的にも豊かになったこの時代。
もうそろそろ戦争が起こる以前の日本と対話して、その頃の考え方などをもう一度見直してみてもいい時期にきているんじゃないかと思うことが多くなりました。
それは「食」以外のことに関してもです。
ヴィーガンという海外から入ってきた言葉をわざわざ使わなくても、元々日本には菜食主義的な価値観が長く根付いている。
「完全に動物性食品を摂るのをやめる」というヴィーガンの主張は私は素晴らしいと思うのですが、同時に「善か悪かで考える」「白黒思考」といった西欧的な考え方っぽいなとも思うのです。
わざわざ海外の言葉を使わなくてもその土壌は元々日本に備わっている。
海外から新しい価値観を取り入れるのもいいですが、昔の日本に思いを馳せると、日本には元々誇らしい文化や考え方が実はあるのだということがわかり始めたのでこうしてブログを書いています。
ちなみに代替肉とか人工肉とか、殺生のしない肉については将来的に普及したらいいなと思っています。
食についてはこれからまだまだ勉強していこうと思いますが、取りあえず今考え方が変わり始めた時期の思いを今回は書いておこうと思いました。