とある女の日常のあれこれ

アニメ、映画、アイドル、お役立ち、日々の出来事、いわゆる雑記ブログです。

オスのひよこが大量にシュレッダーで粉砕される映像を見てしまい食について色々と考えるきっかけになった

 

今年最後のブログになりそうです。

最後だというのに残酷な内容のものになってしまうのはどうなのかなと思ったのですが、とても書きたい事だったので心残りがないように書くことにしました。

 

すごく長文になってしまったのですが、動物の殺処分についてひっかかるものがある人は最後まで読んでくれたいいなと思います。

 

 

 

タイトルの通り、生まれたばかりのヒヨコが大量に粉砕用のシュレッダーにかけられて殺される動画をYouTubeで見てしまいました。

 

 

メスの場合は卵を産んで、その後お肉も食べられるのだそうですが、オスの場合は育てるのにコストがかかり、赤字になってしまうため生まれてオスだとわかった瞬間に処分(生きたまま粉砕、冷凍、ガスで窒息死など)されてしまうのだそうです。

 

 

このブログで一番何を言いたいのかというと、食品の製造過程を私(達)はあまりにも知らなさすぎるということです。

これは最近本当によく思うことで、何も知らないままただ売られているものを小さい頃から食べてきて、後から知ってショックを受けるということが多くなりました。

 

 

 

以前あるアーティストのインスタグラムを見ていたのですが、その人がヴィーガンを始めたらしく、卵を食べないということを決めて代替食品を使って料理をしている写真をアップしていました。

 

私は〝肉を食べない〟のは理解ができるのですが、〝卵を食べない〟ことの理解がその時はできませんでした。

 

しかし、今回ひよこの動画を見て納得したのです。

 

 

 

 

動画が本当に起こっている事なのかどうか調べてみたところ、どうやら本当に起こっていることのようで、殺処分されるオスのひよこは世界全体で毎年60億羽にもなるそうです。もちろん日本も含まれています。

 

 

つい最近フランスでオスのひよこの大量殺処分を禁止するという少し明るいニュースもみつけましたが、それでもこの問題を完全に解決するのには時間がかかりそうです。

 

 

この残酷な殺処分をなくすには【孵化する前にひよこの性別を判別する】ことができれば生まれる前に処分することができるので、今よりははるかに〝マシ〟になってくるとのことです。

 

それでも生まれてくる前に殺すのもどうなの?という話にもいずれはなっていきそうな予感はしますが。

 

 

 

 

それで、私はどうするのか・・・。

実際に食肉が食べられるまでの残酷な過程や、養鶏場の環境の問題など今まで何も知らなかったわけではなく、見て見ぬふりをしていた事と、やはり周りが美味しそうに食べているから自分も食べるという食生活を送ってきました。

やっぱりテレビとかの影響も大きいですよね。

 

最近では栄養などについて勉強するようになりましたが、以前は食について本当に何も考えていませんでした。

 

 

 

しかし、最近どうも見て見ぬふりができず、ことあるごとにそういった事を深く考える機会が何度も訪れるということに気が付きました。

何かを変えるまではずっと付きまとうぞと・・・。

 

 

 

 

そもそも私は子供の頃からどちらかというと肉はそんなに好きじゃなく、野菜が大好きで野菜が食べられれば本当に幸せだった。

十代の頃には肉を見るだけで気持ちが悪くなってしまうという時期も長くあったのですが、そんな自分がおかしいのだとずっと思って肉が好きになるように努力していた部分があったと思います。

周りはみんなお肉大好きでしたからね。

たまに肉の食べられない人がいるとなんとなく虚弱とかかわいそうとかいうイメージがありましたね。

 

 

今考えると、自分の嗜好を無理して変える必要はなかったのかなと思うことがよくあります。

 

 

 

結論は卵や肉を食べる機会を極力減らすというところに行きつきました。

 

 

ヴィーガンの人達みたいに完全にやめるみたいなことは難しい事だと思いますが、口にするものについてよく考えて、お肉や卵などを選ぶのか、選ばないのか、減らすのか、代替品を使うのかなどは私にも簡単にできるだろうなと思いました。

 

 

たぶん、やめようと思えば完全にやめることもできると思います。

(禁煙や禁酒に成功しているし、人間関係が希薄なので)

 

 

しかし、食べ物の場合は急にガラッと変化してしまってはストレスが強いだろうなということと、大腸とも相談していかなければならないことだと思うので、徐々に減らして自然に慣らしていくというのが健全なのかなと思いました。

 

絶対に食べないと決めたのに食べてしまったときの罪悪感は大きいと思うので、精神的ダメージが心配です。

 

 

今はこういった考え方をしていますが、考え方なんて環境によってガラッと変わってしまうのでこの考えが私の中で今後も維持されていくものなのかはわかりません。

でも、なんとなくですが自分はこのままヴィーガン的な思考になっていくのではないかなと思っています。

 

ヴィーガンと言えば最近海外からやってきた言葉ですが、ただ明治以前の日本の食に戻るというだけですね。

 

 

 

 

肉食とか菜食とかそれ以前の話で、私は最近味覚が変わってきて日本の古来からあるであろう食べ物が本当に美味しく感じるようになってきました。

なんで味覚が変わり始めたのかはわかりませんが(加齢じゃないことを祈る)、なんか遺伝子が思い出したみたいな感じに捉えています。

 

 

例えば味噌汁、漬物、山菜、野菜類、きのこ類、こんにゃく、栗、海苔、海藻系、乾物系とかは元からすごく好きなのですが、最近では豆腐、あずき(和菓子など)、里芋、柿、干し柿、甘酒がなんで今までこんなに美味しいのに気が付かなかったのだろうと、感激するほど美味しいと思うようになったのです。

 

 

肉食は戦後の数十年に広まったことで、案外一時的なものだったりするのではないかな?と私は思ったりします。

そのうち先祖が(明治以前に)どんな食生活を送っていたのか、生き物に対してどんな考え方をしていたのか、戦後の名残が消えた時に思い出したりするんじゃないかなとそんなことを最近は考えています。