ついに不食という概念にたどりつく
このブログではたまに食について書くことがあります。
ここ数年では肉食について考えることが増えました。
そして、人間食べ物さえあれば生きていけるのに、なぜいつまでたっても世界の平和は難しいのだろうか、そういったことを考えています。
ここ数年で、私は様々なものに対する考え方がガラッと変わりました。
簡単にいうと頑張ることをやめた。
世の中に合わせようとすることもやめた。
前はこういったことを口にしないようにしていたのですが、世界のお金の仕組みというものを調べて知ってしまってから本当に馬鹿らしくなってしまったのです。
お金を中心にまわっている世の中は本当におかしいです。
で、ここ最近ちょっとしたきっかけがあり、日本の古代文字(と呼ばれているもの)などを調べて、実際に書いてみたりしていたのですが、そこからは前ほど食べなくても平気になったのです。
どうやらそういう方は結構いるようで、気のせいではなかったのかな?と思っているうちに、私は“不食”という概念があることを知ります。
どうやら世の中には、食べ物をそんなに摂取しなくても生きていける人が、少数ではありますがいるということなのです。
子供のころに、インドとかそういうところで、食べ物を食べないで生きている人がいるというのをテレビで見たことはありましたが、そういった類のものは疑いの目で見ていました。
しかし、最近自分の中の常識が色々と覆ってきていて、人によっては案外食べないでも生きられるんじゃないか?と思うようになってきたのです。
もう5年以上も前になりますが、知り合いの話であまり食べなくても生きているという人の話を聞いたことがありました。
正直その時私は「不摂生なだけでは?」「不健康そう」と思ったのですが、何か気になるものがあったのか、頭に残っていて、たまにそのことを思い出すことがありました。
今になってそういうことだったのか、と納得しているのですが、私もまだなんとなくの段階なのですが、不食の道に進むのではないかと考えている。
ここ最近、世の中は物騒になりました。
疫病、戦争、地震、津波、火山噴火、食糧危機、何が起きてもおかしくはない世の中になっています。
個人的にはこれは人間がやりたい放題やってるからなんじゃないかなと思ってます。
近代化以降ずっと続いてきた西洋的な価値観、考え方の限界がきているのではないかと。
そんななか、私はそんな困難な状況に陥ったときに、備蓄以外でどのように水や食料を確保するのかという情報収集をしていました。
しかし、この“不食”とか“少食”がある程度できるのであれば、そういった危機的状況に陥っても生き延びることができます。
今後時代が進むにつれ、人間の仕事が機械に奪われていくなんてことは前から言われていますが、食べないでも生きていけるのであれば、仕事がなくてもとりあえず死ぬことはありません。
食べ物を得るためにしたくもない仕事をして疲弊したり、食事の準備、食べることに対する労力がなくなるとしたら、どんなに素晴らしいのか。
ゴミも出ません。
私はもともと小さいころなどは、そんなに食べることに喜びを見出していませんでした。
面倒くさいなと思っていました。
食べるだけで気持ち悪くなったり、眠くなったりということは昔から日常茶飯事です。
いつからか、食べないと不健康だとか、栄養がどうだとかいった常識が身に付き、いつの間にか食べておかないと不安な状態になってしまった。
最近つくづく思うのが、やりたくもないことをやっていると、本当にエネルギーの消耗が激しいのです。
それでストレスがたまったりして余計に食べたりする。
なので、不食をするのであれば、できるだけ日常から不本意なことを減らしていかなければなりません。
それがなかなか難しいことではあるのですが、長い時間をかけてやっていきたいなと思っている次第です。
最終的には食べても食べなくてもどちらでもいい身体になっていればいいなと思う。
今後考え方が変わる可能性はありますが、食についてはこれからまだまだ考えていきたいと思います。