嘲笑のあるところに真実がある
日常生活や、テレビの中において、『嘲笑』というものがよく見られます。
何か人のやっていることや、言っていることを、真に受けずに小ばかにして笑うあの感じです。
特に、私はテレビを観ていてそれが多いなと思っているのですが、そこには“本当の事を隠したい”という邪(よこしま)な意図が含まれているのかもしれません。
そういった事を私がよく考えるきっかけになったのは一冊の本です。
スティーブン・M・グリア著のディスクロージャーという本なのですが、UFOが実在する証拠となるものがいくつも載っています。
歴史的に名を残している軍人や政治家や研究者など、これでもかというくらいに証言が載っている。
私はこの本を読んで本当に衝撃を受けました。
そして世界や歴史を見る目が変わった。
UFOや地球外生命体が地球上にいて、それが今までどのようにして隠されてきたのか。
その方法は様々あるようですが、その一つが“嘲笑”です。
例えば「UFO」を見たという人が現れたとして、その人物を「頭がおかしい」といって嘲笑の対象にする。
これが意図的に行われているというのです。
人に笑われている光景を見た人は、例え自分がUFOを見たことがあったとしても、「同じような事を言えばバカにされて笑われるのだ」と思えば、その事実を公言せずに隠すようになるというものです。
これって結構身近なところにもあって、自分でも気づかずに生活に馴染んでいることがあったりする。
家族間や友人との関わりでさえそうです。
私なんかは小さい頃からテレビっ子だったので、そのテレビの中の嘲笑に影響されている部分が結構あると思います。
注意深く見ていると、昔ほどではないですが、テレビは本当に嘲笑が多い。
私は、笑いにも種類があるということを知ってからは、相手を陥れようとしている意図などが透けて見えるようになってしまった。
そして嘲笑することが多い人間のことを信用しなくなった。
もちろん悪気のない嘲笑というものもあります。
その嘲笑の裏には何が隠されているのか?
それを意識するともっと違った世界が見えてくるかもしれません。