2018年になってやっと羽生結弦の凄さがわかってきた
タイトルの通り、私は最近になってやっと羽生結弦選手の凄さと、なぜあんなに騒がれているのかが理解できるようになってきました。
我ながら気づくのが遅いんじゃないか?と突っ込みたくはなりますが、それだけ自分の日常で注目することや意識レベルが変わってきたのだと思いたい。
ここ最近ちょこちょこと行っている断捨離のおかげかもしれません。
不必要な物を捨てると、雑念とかも消えるのでおすすめです。
以前から私の周りにも羽生選手のファンはいて、話を聞くたびに「へー」とか「ほー」くらいにしか思っていなかったのですが、今になるとその熱くなっている気持ちのことがわかります。
傍から見ればアイドル的な存在となっていて、嫌悪を感じる人がいるのも気持ちはわからなくもありません。私の周りにも「俺コイツめっちゃ嫌いなんだけど」と言っている人がいます。
「この人凄い人なんだよ」と言っても彼の心の中の何かモワっとしたものが羽生選手に反応してしまうようだ。
でも【明確な理由なしになんとなく嫌悪を感じる】ことの8割くらいは「嫉妬」しているんだろうなと勝手に心のなかで思っています。
私には羽生選手は『自己実現の塊』にしか見えないからです。
というか超越を繰り返している。
嫌いならわざわざ反応せずに、スルーすればいい。というのが私の考えです。
私はフィギュアスケート自体は見るのが好きで、「テレビで放送されていれば見る」くらいの感じでした。
特に今まで好きな選手も特にいなく、ただ単純にその時のそれぞれの演技の素晴らしさに魅了されるといったことでテレビを見ていました。
「この演技は凄かったな」と思ったものは、YouTubeとかで再度繰り返して見ていました。浅田真央選手の動画をよく見ていたのですが、見ている時にふと羽生選手の演技を見てみようと思ったのがきっかけです。
今まで、ニュースなどで取り上げられているのは何度も見たことがありましたが、実際の演技を見たことはありませんでした。
そしていざ見てみると、ようやくなぜこんなに騒がれているのかがわかったのです。
フィギュアスケートにそこまで詳しくない私でも、魅了されてしまうものがありました。
羽生選手の魅力となっているものは、単に技術やキャラクターやスター性だけではなく精神力の強さにあるということを私は確信しました。
演技や技術に関しては繊細で、抜かりの無い完璧さがあるのですが、その下に隠れている意識的なものが、人間の何かを越えている。
ニュースで取り上げられ、わーわーと騒がれていることが先行してしまっていたので、「またか」と今までは思っていましたが、今ではその熱狂的になってしまうその心が理解できるようになりました。
11月16日にテレビで放送されたロシア杯でも、その演技に魅了されてしまった。
演技が終わった後に大量のプーさんが降ってくるカオスや、羽生選手のファンであるロシアの小さい男の子、フラワーボーイのボロノフ君が演技後に毎度接近してくるところも、愛らしくて昨日も「やっぱりきたか」と笑ってしまった。組み合わせが可愛すぎる。
プルシェンコに憧れて大成した羽生選手がいるように、将来羽生選手に憧れた子が大きくなって素晴らしい演技をすることを想像すると、素敵な世界だなと感じます。
松岡修造や、織田信成の解説も何気に好きです。
ということで、今日の放送も楽しみにしたいと思います。