映画ミッドサマーを観た感想と、洗脳されたくて新興宗教に入った昔の話
12月に入ってから、気分の落ち込みがかなり激しく、眠くてひたすらに寝ていたのですが、たまに映画を観たりなんかしていました。
その中の一つがミッドサマーです。
2019年公開の映画で、ブログかなんかで話題になっていたことがあって、一度観てみたいなとずっと頭に残っていました。
ありがたい事にAmazonのプライムビデオで配信されていたので、これを機会に観てみることにしました。
以下ネタバレを含んで書いていくので、興味のある方は読まずにまず映画を観ることをおすすめします。
目次
ミッドサマーを観た感想
映画の内容を簡単に説明すると、アメリカの大学生がスウェーデンのカルト的な宗教を訪ね、生活を共にしているうちに異変に気付いていくというちょっと恐い映画です。
引用
アメリカの大学生グループが、留学生の故郷のスウェーデンの夏至祭へと招かれるが、のどかで魅力的に見えた村はキリスト教ではない古代北欧の異教を信仰するカルト的な共同体であることを知る。この村の夏至祭は普通の祝祭ではなく人身御供を求める儀式であり、白夜の明るさの中で、一行は村人たちによって追い詰められてゆく。
Amazonのレビューなんかを観ると結構賛否両論だったのですが、私は見終わってみてすごくはまる映画だなと思いました。
普段はあまりホラーやサスペンスなど、興奮するような映画は観ないのですが、こういった異様な感じの映画をたまに観るのもいいなといった感想です。
星をつけるとしたら5にします。
現実世界にはない華やかさ
アメリカ、ロンドンの若者たちはスウェーデンの『ホルガ村』で行われる90年に一度の夏至祭に誘われます。
森に囲まれた幻想的な草原に、白い服を着た人たちがとても華やかです。
美人な若者も多く、頭に花冠を乗せて踊る姿は異世界的な美しさです。
謎の宗教画
いかにも宗教っぽいなという絵画が序盤から出てきて、神秘的というかミステリアスな雰囲気が醸しだされています。
伏線になっているものもあって、恐怖感を助長する。
予想外のグロテスク
ホルガ村に入ってからはしばらくその空間の穏やかさや神秘的な風景に魅了されるのですが、その時は突然やってくる。
村人たちが見守る中で、男女の老人が崖の上から飛び降ります。
女性が先に飛び降りたのでのですが、岩に顔面を強打し顔面が跡形もなくなります。
私はグロテスク系が苦手なのでビックリしました。
続いて男性の方も飛び降りるのですが、今度は足から落ちたために中途半端に死ねず、もがき苦しみます。
その男性を村人が大きなハンマーで頭部を叩き殺します。
二度目に叩いた時には頭部が砕けてこれまた無残な姿に・・・。
私は放心状態で思考停止になってしまったのですが、あとから調べたところ、72歳になると村人は皆同じ事をしなければならない、そういう儀式なのだそうです。
カルト宗教内の異様さが表現されている
ホルガ村で代々受け継がれてきた『聖なる書』というものがあるのですが、それは障害を持っている村人が描いたというのですが、その理由は穢れがないからとかそんな感じで、なんとなくそこまでは私も理解ができた。
しかしその障害を持った子というのは〝意図的な近親相姦〟によって生まれてくるのだという。ゾッとしましたね。
変態映画
映画の後半からは目が丸くなってしまうような変態的な描写が加速する。
宗教画の中には自分の陰毛や経血を何か(料理)に入れている絵がありました。
それがただの絵ではなく、実際の教えとして実行されていたのです。
男女が結ばれる時にそれを実行するのですが、ターゲットになったのは主人公ダニーの彼氏です。
その彼氏もドラッグの入った飲み物や精力剤的な飲み物を飲まされ、ついには村の女性と体を交えてしまうことになります。
その交わり方(儀式)がなんとも奇妙でかなり衝撃を受けました。
まずお相手の女性が全裸で寝そべっているのですが、その背後には複数の女性が全裸で立っています。
モザイクもなくて驚きましたが、その儀式も本当になんとも言えないくらい奇妙でした。「宗教ってヤバいな」と本気で思えるくらいの描写でした。
泣き叫ぶ主人公ダニーとひたすら共感(泣き真似)する美しい村人
その彼氏のヤバイ光景を主人公ダニーは見てしまったわけなのですが、 パニックになり嘔吐して寝床に伏せ泣き叫びます。
村人の美しく若い女性たちがダニーのあとをついてきて、ひたすら皆でダニーの泣き真似をする。
もうその光景が狂気でしかないのです。
最後の笑顔について
最後には数人の生贄が選ばれるのですが、その選択は主人公ダニーに委ねられる。
抽選で選ばれた村人と、ダニーの彼氏の二択なのですが、ダニーは生贄に不貞を働いた彼氏を選びます。
彼氏は熊の内臓を取り除いた着ぐるみに包まれて、他の生贄と共に神殿の中で燃やされます。
その様子を眺めていたダニーは最初は泣いていたが、ラストは笑顔になって終わる。
私は呆気に取られてしまって、最後になぜダニーが笑顔になったのかなど、意味が汲み取れなかったのですが、レビューや考察などを読んで、なんとなくその笑顔の意味がわかったような気もする。
そもそも彼氏はメンタル不調なダニーとかなり前から別れたがっていたが情で繋がっていた。
ダニーはなんとなくどこかでずっと彼氏に対しての不信感を持っていたのかもしれない。そこに不貞を働いた現実が起こった。
この不貞に関しては、私は不可避だったんじゃないかなと思うのですが、ダニーにとっては裏切られたことだけが事実です。
その裏切られた自分に頭がおかしくなるほどの共感(泣き真似)をしてくれたこと、そして神殿の中で苦しさのあまり叫ぶ声を聞いて、それもまた真似る村人たち。
自分を苦しめた彼氏が生贄にされる光景を見て、ダニーの復讐心か何かが満たされたのかもしれないと思いました。
あくまでも個人的な感じ方ですが、とにかく最後にダニーが笑顔になったのはとても意外でした。
もう一回観たいけどもう二度と観たくない
今までに観たことのない感じの映画で、面白かったしもう一回観て確かめたい部分もあったのですが、人間の皮を剥ぐ、内臓がえぐり出される、頭部がぐちゃぐちゃなどの描写がかなりグロテスクなので、二度と観たくないという気持ちでもある。
ただ、スウェーデン人の容姿端麗さと白い服に優しい世界観、花飾りなど、グロテスクを抜きにした映画があるならば観たいなと思いました。
洗脳されたくて宗教に入った話
映画の感想が長くなってしまいましたが、ここからは私が新興宗教に入った過去の話を書いていきたいと思います。
洗脳されてみたいと思った
実は今から8年ほど前に宗教に勧誘されてその宗教の建物に通っていた時期があります。
勧誘される前から宗教について疑問に感じていることがありました。
日本では宗教といえばメディアの放送などで悪いイメージがついている人も多いのではないでしょうか。
オウム真理教などのこともあり、私も「宗教はヤバイ」というイメージがずっとついていました。
25歳くらいの時に、宗教って本当にヤバいのか?と考えるようになった。
学校や会社で強制される事と何が違うのか。
私はもう幼稚園に入った時から、その「集団で何かを強制される」という空気感に違和感を感じてずっと馴染めずに大人になりました。
いわゆる社会不適合者なわけですが、そんな自分を「洗脳されづらい体質なんじゃないか?」と考えるようになったのです。
周りの多くの人は、疑問も違和感も感じずにその集団に適応していきます。
それが自分にはできない。
そこで、一般的に〝洗脳されるからヤバイぞ〟と言われている宗教に入ったら、何か強烈な力で自分も洗脳されるんじゃないか、洗脳されてみたい!と思ったわけです。
つまり皆うまく社会に洗脳されているから適応できているのであって、なんらかの強烈な洗脳を受ければ自分は幸せになれるんじゃないかと思ってしまったわけですね。
タイミングよく街で宗教勧誘される
そんな事を考えていたある日のこと、街で声をかけられ、道を尋ねられたと勘違いした私はその女性の会話術にまんまと乗せられ、勧誘を受けました。
学んでみませんか?ということで、私はあっさりと「はい」と答えてついていきました笑
どこの宗教なのかは伏せますが、名前を聞けばあぁとなる感じのところです。
ホルガ村の空気感と親切さが当時と重なった
宗教はヤバイという先入観があったので、内心どんなヤバイことが起こるのかな?なんて考えながら通っていたのですが、そんなにやばい事は起こらずに基本は講義の映像や普通の映画を見せられたり、そこにいる人とお茶を飲みながら会話をしたりといったことだけでした。
たまにイベントとかあったのでそれにも参加してましたね。
ミッドサマーを観ていて、あの穏やかな空気感とか、村人の親切さが当時の空気感と重なって、なんか宗教独特の懐かしさを感じました。
次第に「あれ・・?」となっていくあの感じ
映画の中みたいな本当にヤバイシーン的な事は起こりませんが、「あれ?」と思うような違和感も出てくるんですよね。
その時にはもう違和感を感じてしまう自分がおかしいのか、その教団がおかしいのかということがわからなくなってくる。
いいだけ親切にしてもらったこともあり、離れるのは悪いなという気が起きてくる。
共感してくれる安心感
ミッドサマーの中では、何か激しい感情が起こった時に、村人が一緒になってその感情を味わいます。
例えば老人が飛び降りに失敗して痛みにもがいている時に村人も全員がその痛みを感じます(真似をする)。
ダニーが泣き叫んだ時にも、これでもかというくらいに一緒に泣き叫ぶ。
生贄が焼け苦しんでいる時にも想像の中で感じ一緒に苦しむ。
この映画の中の表現は、最上級の共感なのではないかと私は思ったのです。
私はその教団の中にいる時に、周りがやっているから自分もやらなければいけないのかとか、なんか泣く雰囲気だけど全然泣けないぞみたいなことがあった笑
ただ、人間は一緒に感情を共にできること、他人と同調することで安心できる生き物なのだなと今はつくづく感じているのです。自分はどうやら違うみたいだけど。
メンヘラは宗教と相性がいい?
唐突ですが、今考えると自分ってメンヘラだったんだなと思う。
メンタルが病んでいるときには勧誘されやすくなります。
私は当時は色んな勧誘に惑わされていた。
ただ、根っからのメンヘラ気質なのではなく、家庭環境の中で生成されたものが強いと考えています。若い頃は依存的な気質だったが、完全に依存するということではなくどこかで違和感を覚えてストップがかかる。
その宗教に関しても、我に返るというか、二年くらい経った頃に本来の自分の考えがパっと戻ってきて、今では関りを持っていません。
ただ、映画の中のダニーはパニック障害など不安障害的な傾向が強いですが、最終的には笑顔になっていることから、そのメンヘラ的な気質が最終的には集団に馴染んだという捉え方もできると思います。
宗教って、本当に思う存分依存させてくれるんです。
自律のない依存気質な人大歓迎なのです。
しかし、今こうやって私が自分の頭で色々と考えられるようになったのはそこにいて色んな人と話して色々と助けてもらったお陰であるとも感じています。
頭のいい人って通常はメリットがなければ、頭の悪い人とは関りを持ちたいと思わないはずなんですが、宗教内だと善意から頭のいい人が悪い人と関りを持ってくれたりするんですよね。
だから普段自分が合わないような社会的に成功したような人と話す機会もあったりして、それが刺激になって意欲を持ったりすることもあるんです。
頭のいい人と悪い人って使う単語が違うので、やっぱりお互いに違和感があるはずなのですが、そこは神の力によって調和されるということなのでしょう。
私が恋愛依存や買い物依存がなくなったのは、その宗教に入ってある意味で固定観念を壊されたからだと思います。
宗教を決して勧めるわけではありませんが、イメージした程の悪さがなかったことから、メンヘラでどうしようもなく苦しい人は宗教に依存してみるのもありなんじゃないかと思う。
やばいと思ったら逃げるという選択を頭の中に入れておきつつ。
炊き出しをやっていたり、ご飯提供してくれたりとかもありますからね。
まぁ、宗教にも色々あるから一概には言えませんが。
あくまでも私個人の経験談と捉えてください。
結果やはり自分は洗脳されにくい人間だということに変わりはなかった
色々と引っ越しなども重なり、危険な目に遭う事もなく、その団体との関りはなくなりました。
洗脳されてみたいという、救いと好奇心を求めた私でしたが、結局はやはり自分は洗脳されにくい人間だということが再確認できました。
そして、洗脳が何なのかといったことの自分なりの理解を得て、ただいまも絶賛社会不適合者中です。
なんか会社とか組織がすごく嫌いでその中にいると次第に居心地が悪くなり違和感を感じてきてしまうんですよね。
結局三つ子の魂百までということなのか、根の部分は昔と何も変わっていないんだなという事ををしみじみと感じています。