完璧主義は「自覚」するべきであって「治す」必要はない
最近私の中で「完璧主義」というワードを目にする事が多くなりました。
本の内容や調べ物をしていて出てくる記事の多くに「完璧主義」が日常生活に害をもたらしていたり、それを治すための方法など、まるでそれが不要のものかのように書かれていることがあります。
しかし、果たして完璧主義は治さなければいけないものなのでしょうか?
もちろん完璧主義に陥り苦しんでいる人には「治す(直す)」ための方法は役に立つものですが、完璧主義を自分に与えられた特質としてうまく活用していくという考え方もありなのではないでしょうか。
レオナルド・ダ・ヴィンチやスティーブ・ジョブズなど、歴史上の大きな功績を残した人物の中には完璧主義と言われている人が多くいます。
完璧主義には負の側面もあり、その側面に苦しめられる人もいることでしょう。
例えば最近亡くなられた俳優の三浦春馬や竹内結子なども完璧主義の気が強かったと言われています。
その苦しみが強いが故に「自殺」にまで追い込んでしまうことのある完璧主義ですが、それでも私は完璧主義を治すことはもったいないことなのではないかと考えています。
私は「自ら死を選ぶ」事を否定しません。
完璧主義が故に望みが叶わなかった時に疲れて自殺願望が出てきたとする。
それはそれでありなんじゃないかと。
三浦春馬が死んだときに、このブログにも書きましたが本人が選んだのであればそれを受け入れてもいいのではないかと。
とても好きな俳優さんだったので、勿論大きなショックを受けたのですが、短い人生の中で沢山の素晴らしい作品を残し、多くの人に影響を与えました。
もし「完璧主義」というものの原因が親子関係にあるのであれば、それは教育から直していかなければならないと思います。
私は日本の学校教育も完璧主義を助長しているところがあるんじゃないかと思う。
それでもやはり完璧主義的な資質を持った人というのはいつの時代も一定数出てくるものなのではないかと。
そして、その苦しみを持った人が世の中を変えていく。
その上で大事なことは「治そうとする」という事ではなく、「自覚をする」という事なのではないでしょうか。
同じ資質を持った人物は歴史上に沢山いるはずなので、書物などに触れることで、共感を獲得することもできるはずです。
そして、環境に自分を合わせて性質を変えようとするのではなく、自分の合う環境を必死で探す。
せっかく持った特質を、負の面ばかりに注目して治そうとしてしまうのはもったいない。
完璧主義の人がその特質に苦しまずにのびのびとうまく付き合っていく世の中もきっとあるはずです。
ただ、完璧主義というのは自覚をしていなかったり、原因がわかっていなかったりすると周りに疎まれてしまったり、自分を嫌いになってしまったりする事があるのも事実です。
「自覚」をしてその性質と仲良くやっていく。それが大事なのではないでしょうか。