コロナ禍で3密避けるー実は「いい時代がきたな」と思ってます。人が近いのが苦手です
5月も終わりそうなこの頃、コロナの波が落ち着いてきたようです。
2020年、まさかウィルスの脅威に晒されるとは思ってもいなかったのですが、「3密を避けよう」と叫ばれるようになってから思うことがある。
いい時代になったな
と。
ここ最近では特にニュースなんかをみていると本当にそう思います。
例えば飲食店で席を空けて座るとか、仕事がリモートワークになることはもちろん、学校でも人と人との距離をあけて過ごす。
満員電車はいまだ解消はされていないようですが、もしこれも解消されるとするのならば、どれだけ素晴らしいことなのだろう。
満員電車はもう昭和の頃から問題になってきましたが、21世紀にもなってそれが続いていることがやばい。
普通に考えてぎゅうぎゅうに押し込まなければ乗り込めないという事自体がとにかくやばい。やばいとしか言えない。
東京の通勤ラッシュもそうですが、地方の都市も結構きつい。
あんなのコロナじゃなくても毎日乗ってたらやはり精神衛生的によくないと思います。
学校に関しては、私は学校のクラス内に人が密集してそれで毎日授業を受けるのが苦痛だったので、逆に今の状態のほうが正常にみえます。
隣の子と机くっつけなきゃいけないのってなんなんでしょうね?
あれは一体なんのためだったのだろうか。
パーソナルスペース(他人に近づかれると不快に感じる空間)に、クラスメイトとはいえど赤の他人に侵入されるとか本当にストレスでしかないですよね。
もちろん気にならない人もいるでしょうが、日本だと結構繊細な人が多いので少なくはない割合で嫌だなと思っている人がいるのではないでしょうか。
まだ国が貧しい時代であればそれでも仕方がない。
しかし十分に豊かになった現代で小さい箱(教室)に子供押し込めて教育する必要が果たして本当にあるのだろうか?
とくに思春期の頃など集団によっては男子はえげつない下ネタを言うような輩が多数でてくる。
パワーも増してくるので、教室の中で人が動き回っているだけで危害を加えられるということがでてくる。
そんな状況のなか、クラスで人と人とが近すぎる空間にいることは私は苦痛で仕方がなかった。
それ以外にもバスも映画館もそうなのですが、隣の人が他人だと、もう触れそうなくらい近いのはなんかそれだけで疲れてしまうんですよね。
ですので、コロナが流行している現在の方がむしろ自分にとっては健常なんじゃないか?と感じることが多々あるのです。
私自身日常生活で人同士が近いというのが苦手です。
しかし現代ではそれは避けることは難しいので常にストレスを感じながら生きてきました。
とはいいつつ、お祭りごとやイベントが好きだったりと矛盾しているところはあるのですが笑
それはたぶん仕方なく密集しているのか、楽しんで集まっているのかなどの違いなのだと思います。
とにかく人が密集しているところに行くと異常に疲れる。
それが日常になると、疲労が慢性化してきて色々と感覚が麻痺していきます。
さらに言えば、家同士が密集しているのも普段から本当に嫌だなと思っていました。
少子化少子化と騒がれていた時期もありましたが、これ以上人口は増えなくていいのではないか。
技術(人工知能なども含め)も発達し、戦争もそうそう起こらない日本においては、大事なのは無理に人口を増やすことよりも一人一人の人間の質を高めていくことなのではないだろうかと思うのです。
密集していることにより犯罪が起こりにくいなどのメリットもあるでしょうけどね。
それで質を高めるには余裕というものが必要になってくると思います。
時間もお金も人間関係もそうです。
それが、コロナの自粛で緩和された人がどれほどいるのだろうか。
自殺する人が減ったという情報も目にしました。
もちろん一方では大変な被害を被っている人がいることも痛々しいことであるのはわかります。
飲食業界やエンタメ業界、農産業その他などの打撃は私も聞いていて胸が痛みます。
ですが常識が常識でなくなった今、一人一人がゆっくりと考える時間を持てた部分に関してはとてもいい機会だったんじゃないかと思います。
こういったことは今コロナが騒がれているときくらいにしか私は書けないと思うので、今日は思ったままに書いてみました。
それでは☆