お金への依存から抜け出すにはお金を心底好きor嫌いになる必要がある
最近よく考えることがあります。
「家」と「食べ物」さえあれば人間生きていけるのに、それさえままならないのはなぜなんだろうと。
その家と食べ物というベースがあって初めて色々な事に取り組めるはずなのだが、このベースがなくて悪循環に陥ってる人の如何に多いことか。
私はお金が嫌いです。
はっきり言うと嫌いです。
で、以前はお金が好きだと言っていました。
一時期スピリチュアルにはまっていたのですが、スピリチュアルの世界では「お金に感謝しよう」とか「お金を好きになるとお金に好かれる」といったようなことが多く公言されている。
私も暗示によってお金が寄ってくる体質になろうと思い、そのような暗示を自分にかけていました。
その後お金について色々と現実的なことを調べていくとなんかおかしいぞとなる。
結局、お金にそんなに苦労しない人は、お金をありがたいもので便利なものだと認識するし、お金に苦労する人は、お金を毛嫌いするようになる。
ただそれだけのことで、どっちが正しいとか間違っているとかそういう問題ではないのだと思う。
私は昔からお金に苦労した。させられた。
だからお金が嫌い。ただそれだけなのです。
お金の必要ない世界がきたらいいなと思ってます。
「お金」は存在しててもいいから、一部のお金好きな人の間のみでやりとりしてほしいなと。
現在だと誰もが生まれながらに資本主義という出来レースに強制参加させられている。
衣食住のためのお金と、その他のお金は区別してもいいのでは??
と、考えたらベーシックインカムという概念が出てくる。
しかし、なかなかそれは実現が難しいのかなと思ったりする。
ベーシックインカム以外で、どうしたらこの資本主義社会、お金ありきの社会から抜け出せるのかを考えると、やっぱり個々人の自立なのかなと思います。
自分の手で食べ物やその他の物を生み出すことができる知恵の習得がお金嫌いな人のやるべきことなのかな。
お金によって「喜び」や「苦痛」その他便利さなどを得ることによって、人間はそれに執着や依存をしていく。
そして好きとか嫌いとかいう感情が生まれるとする。
じゃあどうしたらその執着から抜け出すことができるのかを考えたら、私は思う存分好きになって追いかけることか、嫌いになることだと思いました。
それって他の事にも言えることで、好きでも嫌いでも、そのものに集中して満足すれば飽きてどうでもよくなるのが世の常だなと。
好きと嫌いの感情はやっぱり表裏一体で、どちらにしても自分の意識がそこにあるということになる。
最終的なゴールはお金というものに意識をむけなくなることです。
そこには好きも嫌いもありません。