人を殺してはいけない。そんなのはわかりきった事なのであって
痛ましい事件を耳にすることが多くなりました。
そんなときに目にするのが“犯人がいかに悪い奴なのか”ということ。
特にネットなどでは多くの「死刑でいい」という言葉を目にします。
さらには「酷い拷問を受けさせてやれ」なんてものも珍しくはありません。
これは一種の復讐心を満たそうとした言葉なのではないかと私はみています。
ただ、これを果たしたところで、今後同じ問題が起こるよねというところはどうでもいいのかな?と疑問に思うところです。
人を殺した人物だからといって、その人を殺してしまえという気持ちが湧いてくるという事は、その人自身にも少なからず殺意が心の底に眠っているということ。
最近の政治家襲撃事件では、犯人が宗教団体への復讐心から起こった出来事だとわかっています。
ここでわかっておきたいのは、“復讐心”というものは人間ならば原始的な時代(或いはそれ以前)から誰にでも“脳”に備わっているということ。
復讐心のようなこういった一見マイナスに見えるような感情があるからこそ、脳はさらに高度に発達してきたということ。
別々に存在しているものではなく、相互に作用しているものなのですね。
宗教などではキリストが流行った時代から“復讐してはいけない”という教えや令が度々出されますが、これは上の人間にとって都合のいい人間を作り出すためのものなのではないのでしょうか?
一見マイナスに見えるようなものでも、否定するのではなく、存在を知るということの重要性を私はすごく感じます。
今回の事件は政治と宗教が癒着していることによって起こった事件といえますが、これに関しては私も前々からすごく疑問に思っていたので、今回明るみに出て謎が解けた感がある。
統一教会の教祖自体が、世界大戦で受けた屈辱(日本での強制労働や拷問)を根に持っていて、それありきの教えを説いているので、“復讐”というものが、宗教→信者の家族→事件を知った人というように、ぐるぐる回っているような気がしてならない。
最近すごく思う事なのですが、人にはそういった感情、情動が備わっているという事を知ったうえで
“なるべく怨念を生み出さないようにする”
ということが、大事なのかなと私は思っている。
とても単純なのですが、日常生活でも政治活動でも何でも、これに気をつけることが重要なんじゃないかと。
ただ、『危害を加える可能性があるものや異物を排除したい』というものも、動物に深く備わっており、人殺しを殺してしまえという人間の気持ちを理解することも大事なのかもしれない。
その後のことを考えないのであれば手っ取り早く安心を手に入れらる方法なのかもしれない。
人間の感情は複雑ですが、深く理解することは可能だと思います。
こちらの本がすごく面白くておすすめなのですが、理性のみでは人間はここまで高度に発達できなかったということが書かれていて、色々と考える材料になるものです。