私が見たものはプラーナなのか何なのか 空間に漂う細やかな粒々
昨日不食についてのブログを書きました。
不食の人はプラーナを食べているらしいのですが、このプラーナというのを私も見たことがあります。
ここ数年で経験したことなので、自分が経験したことについて一度はブログに書いてみようと思う。
たぶん5回くらいは見たことがあるのですが、場所は室内、お風呂、神社で基本的には午前中です。
今年に入ってからはたぶん見てないので、記憶を思い出して書きます。
特に何も意識していないときに、部屋の何もない空間に本当に細やかな粒々が無数に漂っているのが見えることがありました。
最初は埃が見えたのかなと思って、こんなに細やかな埃まみれの空気なんか吸ってたら身体にすごく悪いぞ‼と思いました。
空気中に漂っているもので、埃以外の概念が私にはなかったんですよね。笑
今までどんなシチュエーションでどんなに汚い場所にいても、あれほど細やかな埃が空間に漂っているのなんて見たことがなかったので、なんか自分が思ってるのと違うんじゃないかと思いはじめます。
不思議だな~と思ってぼーっと観察していると、埃ではないことがわかります。
埃のような荒くて不規則な感じではまったくないんですよね。
霧でもないし、光でもないし、物質でもないような、なんか微妙な感じなんです。
で、サラサラとしていて別に流れているわけでもなく、止まっているわけでもない。
その部屋で見える何かなんだなと思って、定期的に何回か見てもわからないままにしていたのですが、今度はお風呂で見えるときもありました。
それも午前で、最初は細かい水分が空気中に漂っているのかな?と思ったのですが、じっと観察すると、なんとなくですが水分は水分でまた別にあるような感覚なのです。
なんかすごく妙な感じがして、部屋で見たのと同じものだ‼と思い出します。
なんか、水分とかそういうものであれば動いたり風が入ったりすれば、動いたり流れたりしそうなんですけど、それがないんですよね。
本当にただそこに安定して存在してるだけというかなんというか。
そしてどこで見ても綺麗なんです。
もちろん自分の目の状態とかをまず疑ったりもしたのですが、感覚的な話になってしまうけど、自分の中ではなくて、確かに自分がいる空間内に上下左右に奥行きをもって漂っているという感じなんです。
人の動きとか風などで動くようなものではないのですが、自律的に斜め方向に流れているように見えるときもあり、本当に不思議に思ったのを覚えています。
ここらへんでネットで調べるようになるのですが、なんとなくそんな経験をしている人がちらほらいて、それがなんかスピリチュアル的なものであると同時に目の病気が疑われている人がいることもわかりました。
ただ、この程度で眼科とか行っても、大丈夫ですよと言われて終わりだと思う。
日常生活に支障がなければ問題ないですよという医者が多いのではなかろうか。
眼球というか視界の中に何か動くものがあって、それが目の動きに合わせて移動するやつはたまにあるんですけど、それとはまったくの別物です。
あと、白血球が見えているというのも、可能性としてはあるかなとは思ったのですが、明らかに自分の中で起こっている事というよりは、空間に漂っている感がすごく強いので、違うんじゃないかなと思います。
最後に見たのは神社です。
結構広かったのですが、建物などがない木々が茂っている場所があったのですが、その空間だけまたうっすらとした霧とはまた違うさらさらとしたものが漂っているのが見えました。
最初は花粉なのか、木から何か粉みたいなのが出ているのかと思ったのですが、冬になる手前だったので、よくわかりません。
神社内の他の空間では見えなかったのですが、そこだけうっすらと漂っていたのです。
一緒にいた人はそれが見えているかどうかはわかりませんでしたが、「空気が違う」といってすごく感動していて、その神社がとても気に入っていたようです。
私は漂う花粉を目で見たことがなかったし、あれはなんなんだ?という疑問と、やっぱり綺麗な空間だなという気持ちで歩いていました。
今思えば、部屋で見たものと同じだったのではないかと思います。
そして、つい最近不食について色々と調べていたら、プラーナを食べる人がいるということを知ったので、色々と思い出していました。
私がもしその経験をしていなければ「プラーナを食べる?なんだそれ意味わからん」となっていたことでしょう。
ただ、あれはきっとそうなんじゃないか?という経験をしているおかげで、その意味をすんなりと受け取ることができたのです。
それから、世の中には目に見えないものやまだまだ知らない事がたくさんありますが、こういった関連から色々と調べてみるきっかけにもなりました。
例えば最近何かと目にすることが多くなったフリーエネルギーについてなのですが、何もないはずの空間に、人間が見えないだけで実はエネルギーのような何かが漂っているのならば、全然不可能なことではないのだな、というそういった思考ができるきっかけにもなりました。