なんで・・・三浦春馬死亡はショックが大きすぎる 「死」を選ぶことも一つの選択肢か
ここ最近ブログをあまり書いていないのですが、今日は書かずにはいられませんでした。
三浦春馬死亡とのニュースが入ってきたからです・・・。
三浦春馬は私が昔から好きな俳優で、芸能人でいえば誰がタイプかを聞かれれば「三浦春馬」と答えるくらいにかっこいいいと思っている人物でした。
なんでと思う気持ちが一番大きいですが、悲しいやら寂しいやらで落胆以外に何もないです。
最近なんだか自分が好きだった人物が急に死んじゃったりすることが多いので寂しいですね。
特に三浦春馬のような人物は自殺などとは程遠い人間だと思っていたので、意外過ぎるしそれだけにショックが大きい。
なんか自殺にみせかけて実は誰かに殺されたんじゃ?と疑ってしまうくらいに信じられないです。
「恋空」とか「ごくせん」とか「14才の母」とか、数えきれないくらいに代表作というものはありますが、私が何度も見た映画はこちら。
君に届けです。
なんとなく見てみてから大好きな映画になり何回も観ています。
三浦春馬のカッコよさを知ったのもこちらの映画で特に爽やかさが際立っていて本当に素晴らしい青春映画です。
人が死ぬたびに「本当のところは本人にしかわからない」と言うしかないのが悲しいです。
色々な憶測はあっても結局それは本人の意思とか言葉ではなく所詮他人が勝手に「こうだったんだろう」と考えたことでしかなくて・・・。
結局また日々が過ぎ去れば、悲しみは癒えていくのだろうけど・・・。
でも、もし本当に自殺なのであれば、私は「死」を選んだ三浦春馬を尊重したいと思います。
尊重と言えば語弊があるのかもしれないのですが、でも自分で選んで自分で行ったことだと思えば、それは受容してもいいのじゃないかなと思いました。
(世界の片隅の一個人の意見です)
特に三浦春馬のように色んな影響をたくさんの人に与えてきた人物ならなおさらです。
なぜなら普段から私は自ら「死」を選ぶこと=悪いことだとは見ていなくて、それも一つの選択肢なんじゃないかなと思っているからです。
「尊厳死」とか「安楽死」とか、問題にもなっていますが、自ら選んだことだとしても、それはありだと思っているわけです。
だって、他人にその人の「痛み」がどれほどのものなのかなんてわかるはずがないんですから。
※とはいいつつも、その話とは別のものとして、日本の自殺者の多さは放置していいものではないと思っています。
たぶん日本社会のシステム、枠組みの中で死ななくてもいいような人が死んでいるからです。
ですから、解決策を考えていくことは重要だと思います。
本当に戻ってきてほしいです。
先程書いたことと矛盾していますが、今は受け入れたくないのでしばらくテレビもTwitterも見るのをやめます。