こちらが十年程前に履いていたヒール。
なんと実家でまだ生き残っていました。
当時はスニーカーすら持っていなく、主に最低7センチの高さで最高12センチくらいあるものを履いていることもありました(今はとてもじゃないけど履いて歩けません。
こちらが現在の高さ。
スニーカーを履いていることが多く、サンダルとかだと3センチから7センチ程になりました。
十代の頃がMaxで、二十代に入ると「キツイな・・・」と感じるようになり、二十三歳くらいになると、靴屋さんに行ってヒールの高い靴を可愛いなと思って買っても実際に履くことが少なくなります。
そして二十代中頃にはヒールの高いものを避けるようになりました。
履かなくなった理由を今日は考えて書いていこうと思います。
目次
- 体力と意地が無くなった
- 人目をあまり気にしなくなった、どう思われるかを気にしなくなった
- 死に近づくとヒールも低くなる(時間の貴重さ)
- 異性にモテたい欲求がなくなる
- 行きたいところに早くたどり着きたい
- 余談
- まとめ
体力と意地が無くなった
ということなんですけれど、ヒールの高い靴を履いて歩くと頻繁に靴擦れが起こります。
かかとや小指のつけ根部分に擦り傷が出来てしまいます。
ひどいときには傷が出来た部分に絆創膏を貼りそれでも我慢して歩いていたものです。
これは体力と意地があったからだと思います。
今は年を取ってヒールの高いものは絶対履けないなど、年寄り臭いことは言いませんが、それでも当時は高いヒールを履いて歩くという気力があったのだと思います。
人目をあまり気にしなくなった、どう思われるかを気にしなくなった
若い頃は「あの人に好かれたいからこうする」とか「周りの人にこう思われたい」という理由で意思決定することが多いです。
これが年を重ね、恋愛や仕事で色々な経験を積んでいくと、そんなことは無駄な事だと段々と気付き始めてきます。
もちろん人によって考え方は違いますが、当時の私はヒールを履くことがプライドであり、「脚を綺麗にみられたい」「ヒールがある方がかっこいい」などとこだわりがありました。
現在ではそれも中身がなければなんの意味のないものだと思うようになりました。そして私がヒールを履いていようがいまいが、他人にはどうでもいいことです。
死に近づくとヒールも低くなる(時間の貴重さ)
若い時は時間が有限だなんて考えもしなかったのですが、年齢を重ねると少なからず焦りが出てきます。
色々な葛藤も多かった十代、二十代前半の頃に比べ、色々な視点で物事を見れるようになり、自分にとって本当に大事な物も段々と見分けがつくようになってきて無駄な物は省いていこうという器用さが自然と身に付きます。
そうなってくるとヒールの高さというものは結構な時間を取られるものとなります。
異性にモテたい欲求がなくなる
当時は今よりは美意識が高く、なんで綺麗になりたいのかというと、その根本には異性にモテたいという欲求があったんだと思います。
そのための手段の一つとしてヒールを履いていたということになります。
(あくまで私の話でありますので、ヒール履いてる人がみんなそうではありません)
行きたいところに早くたどり着きたい
ヒールを履いていると必然的に歩く速度が遅くなります。
当時は車移動が多かったのでそこまで問題ではありませんでしたが、現在では歩いたり公共交通機関を利用することも多くなったので
そうなってくると底の高い靴を履いていると歩いているだけで目的地に着くまでにかなりの差ができます。
転ぶ確率も高くなります。階段を降りる時も大変です。
余談
メリット
急な上り坂がとても楽
もう今となってはヒールを履くことに対してデメリットしか感じないのですが、メリットをあげるとしたら、上り坂を登っている時にヒールの高いものを履いていると全然疲れないんです。
しかし逆に下り坂ではすごく歩きづらいです(笑)
まとめ
色々書きはしましたが、
「ヒールの高いものを履きたい」という欲求が満たされたので、飽きたし疲れるというのが理由だと思います。とはいいつつ、ヒールを履いている人はやっぱり脚が綺麗です。
自然とバランスを取っている状態なので、脚の筋肉も鍛えられます。
自分はもう履かなくなったけど、すまし顔でヒールの高いものを履いてスマートに歩く姿は見ていて気持ちがいいものです。
ハイヒールには色々と哲学がつまっているなと思いました。